中欧編 Bosnia-Herzegovina(3)The Museun of Sarajevoとラテン橋。
サラエボ事件についての知識はバッチリ、で博物館に行ってみました。
外観。(写真借り物)
展示内容としては、、、、
1)当時のボスニア・ヘルツェゴビナの立場とか、事件の背景についての説明。
2)生活スタイルの紹介
3)事件に関わる展示
だいたい、3部構成でした。
これだ1878-1918年のボスニア・ヘルツェゴビナの国旗です。
Cradonacelnikって書いてありますね。Google翻訳で訳すの頑張ってみたけど、翻訳できませんでした。帽子がトルコ風ですね。
当時の武器の展示。螺鈿細工の美しい左側のは実用的じゃないね。
当時の部屋内装の再現。西洋風。
これ、何の展示なのか忘れてしまった。
多分、警備兵とか警察関連の展示だったと思う。
で、暗殺されたフェルディナンドと奥さんの人形。
作りが雑でおもしろい。
事件の首謀者達。ちなみに左の大きめの写真の人物が首謀者のPrincip。
事件当日の被害者の動きとメンバーの待機場所。誰がどのポジションに陣取っていたという情報が全て残されてる。
首謀者のPrincipは⑤に立ってて、犯行に及んだらしい。
犯行グループが身につけていた品と事件を伝える新聞。
で、摘発した犯行に使われた銃!えー、実物がこんな寂れた博物館にあるわけないわと、学芸員さんに聞いてみたら、やっぱり本物はウィーンの国立博物館に保管されているそう。やっぱりね。
事件直前の写真。
トルコ兵の制服。
で、実際の橋に向かってみました。といっても10mぐらいしか離れてないけど。
橋の歴史を伝える説明書き。
最も古い歴史は1541年。商人の出資で、今の形の橋が建てられたのは1798年。
で、1914年にあの事件が起きるわけね。暗殺に成功したプリンツィプは英雄視されてて、長らくプリンツィプ橋と呼ばれていたそう。で、その後ラテン橋に改名されました。
ふーん。橋そのものより、川の水の色の方が気になった。今は観光客でごったがえした、歩道専用の橋だった。そして、写真を撮ることに夢中になって橋を渡るの忘れてたってオチです。
橋の東側に立つモスク。
ミナレットが美しいですね。
で、その反対の西側に立つ奇抜な建物は市庁舎。目がチカチカする。
明日は、旧市街のど真ん中観光にお出かけです。
では!