中欧編 Serbia(3)Belgrade 空港からのアクセスと町歩き。
ちょっと古びた感じのするSerbia空港。到着すぐの撮影なので、夜です。
さっぱり、キリル文字なのでさっぱり読めません。
空港は、商店は夜間は閉店でしたが、空港自体は24時間Openでした。
閉店したカフェのソファで寝袋でぐっすり就寝できました。空港内には両替(自販機風のもの)、レストラン(深夜帯は閉店)などはありましたが、ATMは使っていないので不明です。
さっそく市内行きのバスを探します。正面出口を出て、左にバス停がありました。人が集まってたのですぐにわかりました。
近くに時刻表(英語表記あり。)も出てました。やるじゃないか、Serbia。
たまたまやってきた72番の路線バスに乗車。ローカル度満点の終点のバスターミナルで下車しました。
地図の①赤いピンの場所です。
宿まで歩いてて、落書きだらけの壁、がったがたのアスファルトに気づきました。
心の中で『気をつけてね』アラームが鳴りました。
スマホは出さずに、地図を思い浮かべながら歩きました。(写真は借り物です。)
無事に宿にチェックインし、荷物を預けて町歩き開始。
ベオグラードは、独特の雰囲気があります。
ヨーロッパであって、一般的ヨーロッパとは雰囲気が全然違います。
建物も、無骨でいかにも共産主義の影響を受けた感じの、無骨な建物。
宿から歩いて、数分のところに有名なNATOの空爆をうけて崩壊したビルがありました。
あえて、修復していないんだって。こんな崩壊寸前の建物を、そのまま放置しているという安全管理の面からみても驚き。そして、受けた攻撃を忘れまじという姿勢にも驚き。
そして、何故NATOがセルビアを攻撃したのか気になりますよね?。
で、コソボ問題の平たい説明。
要するに、セルビア(セルビア人)vsコソボ( アルバニア人)という民族の対立。
コソボはセルビアの一地域だけど、セルビア人よりアルバニア人が多く住んでます。
アルバニア人はセルビア人に比べて色んな差別を受けてて、不満が募ってました。
アルバニア人は、『アルバニア人の国:コソボ』が欲しいと独立運動を開始して、コソボ共和国の独立を宣言。
セルビアはコソボの独立なんて認めず、武力でコソボの独立を阻止した。こうやって、セルビア人 vs アルバニア人になってしまった。
ヨーロッパ各国は自分達の眼と鼻の先で、こんあ武力衝突が起きるのは好まないし、戦争難民が流れ込んでくるのも嫌。で、NATOが出てくるんですね。
コソボ問題はユーゴ解体の1990年頃から10年ぐらい経っても泥沼化してしまった。
それでも、なんとか両者を和平会議に出席させることができました。和平案もでき、アルバニアは人はサインしたのに、すんなりサインしなかったセルビア。
合意するの?しないの?と、もたついている間に、NATOの空爆が始まってしまったのです。(私の理解はこんな感じです。素人ですから、間違ってるかもしれません。ご容赦ください。)
そんな血なまぐさい歴史があるとは、想像もできないような平和な公園。
家族連れがお散歩してたり、平和そのもの。
サヴァ教会のすぐ隣にある建物。色使いから両国国技館を思い出してしまった。外観はロシアの影響か?質実剛健風。
中に入ってみました。美術館風ですが、図書館でした。
受付の人に写真の許可を得ました。共産圏や社会主義国で勝手に写真を撮ってると、場合によっては怒られたりするからね。英語は通じにくく、運良く英語のわかる人が周囲にいれば通訳してくれます。
あんまり写真を撮る雰囲気じゃなかったので、この肖像画を撮って終了。なんだろう。コサック的な感じ?歴史を感じるよね。
セルビアの民族衣裳、自信ないけどボイボディナ(北部)のものか。。。
で、大本命の隣のサヴァ教会。
セルビア正教の教会。
正教ってややこしいので、ちょっと説明。
正教会=ギリシャ正教=東方正教会。どれも同じ宗教を指します。
伝統として、地名+正教会と呼ばれるので、ロシア正教だろうがブルガリア正教だろうが実質は同じ宗派です。故郷の徳島にあれば、徳島正教会になる原理だよね。宗教学者ではないので、間違ってても大目にみてください。
1935年に建造開始で、2010年時点で建築中なんだって。今、2017年だけど、工事の進行が遅そうだからきっと、修復じゃなくて、建築中なんだろうね。
観光客や信者さんが、列を作って、お祈りグッズを購入してました。みんな敬虔な信者です。
となりの小さな教会。
こっちは完成してて、豪華な内装と、祈りの声がひびいてました。
きれいだよね。
さて、スーパーで夕飯を購入して、宿に戻ります。
では!