Stairs to the world

42歳のMiddle ageの女性の旅行記。日本に戻ってます。

中欧編 Bosnia-Herzegovina(4)Gazi Husev Bey MosqueとMedresa

今日は、サラエボ旧市街の観光日。Hyper touristicで来てみてびっくりしました。

旧市街は人でごった返してます。

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細い横丁が、いくつも伸びてて、金属製の食器屋さんやお土産物屋さんが並んでます。

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見てるだけでも楽しい。

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とにかく伝統を感じる建造物が多い。トルコ風でOrientalを感じます。ここはヨーロッパなのかあ??って、不思議な感覚にとらわれます。楽しい、楽しい。

 

ガイドブックに載ってる、モスクに行ってみました。

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外観だけ観光している10億国人達。

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入場料は、複合チケットで5マルカ(2.5€=312円)お得です。

私は、入場料を払って中に入ってみました。人生初のモスク体験。

受付の人に決まりごとを聞いてみました。
1 女性はスカーフを被る
2 靴を脱ぐ
たったこれだけで、簡単。

 

旧市街の説明看板。どこを歩いても、文化遺産に出会えます。

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Gazi Husrev Bey’s Mosque

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Gazi Husrev Beyというのは当時の総督の名前。天気も良くて最高の写真が撮れました。

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こっちは観光用のみせかけエントランス。モスクの入り口は正面の右側面です。

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靴を脱いで、持ってるストールで頭を隠します。

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中は、思ったほど、ゴテゴテと装飾されておらず、シンプル。
そして、偶像崇拝禁止なので、肖像画的なものは一切ありません。

広いフロアを職員の人が、掃除機をかけてました。

女性用と男性用とエリア分けされてましたが、お祈りの時間じゃないので私以外は誰もいません。掃除機の音を除けば静か。

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正面の泉?御手水いする所?美しくて、用途のわからないものでした。

 

入場料を無駄にしないように、コンビのチケットで入れるMedresaに行ってみました。

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外観からして、均整がとれてる美しい建物。計算され尽くしたデザインらしい。それにしても良い天気。ベオグラードが雨続きだったから、なおさらウキウキする。

 

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内装も白を基調にしてて、とっても素敵。

 

こっちはモスクというより博物館でした。

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立てた総督の説明とか、建物に関する資料が展示されていました。

 

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トルコ語イスラム語?どちらにしても、さっぱりわかりません。
右から左に読むってぐらいしかイスラム語は知らないな~。

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こんなん読めたらかっこ良いよね。

 

天文学に関する展示。

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昔、天文学者になりたかったんだよね。自分でもつくづく文科系の人間だと思うよ。

次は、高台にある伝統家屋を改装した『民芸博物館』に行ってみます。
では、それは次回に。

中欧編 Bosnia-Herzegovina(3)The Museun of Sarajevoとラテン橋。

 

サラエボ事件についての知識はバッチリ、で博物館に行ってみました。

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 外観。(写真借り物)

 

展示内容としては、、、、 

  1)当時のボスニア・ヘルツェゴビナの立場とか、事件の背景についての説明。
  2)生活スタイルの紹介
  3)事件に関わる展示

だいたい、3部構成でした。

 

これだ1878-1918年のボスニア・ヘルツェゴビナの国旗です。

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Cradonacelnikって書いてありますね。Google翻訳で訳すの頑張ってみたけど、翻訳できませんでした。帽子がトルコ風ですね。

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当時の武器の展示。螺鈿細工の美しい左側のは実用的じゃないね。

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当時の部屋内装の再現。西洋風。

 

これ、何の展示なのか忘れてしまった。

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多分、警備兵とか警察関連の展示だったと思う。

 

で、暗殺されたフェルディナンドと奥さんの人形。

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作りが雑でおもしろい。

 

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事件の首謀者達。ちなみに左の大きめの写真の人物が首謀者のPrincip。

 

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事件当日の被害者の動きとメンバーの待機場所。誰がどのポジションに陣取っていたという情報が全て残されてる。

 

首謀者のPrincipは⑤に立ってて、犯行に及んだらしい。

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犯行グループが身につけていた品と事件を伝える新聞。

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で、摘発した犯行に使われた銃!えー、実物がこんな寂れた博物館にあるわけないわと、学芸員さんに聞いてみたら、やっぱり本物はウィーンの国立博物館に保管されているそう。やっぱりね。

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事件直前の写真。

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トルコ兵の制服。

 

で、実際の橋に向かってみました。といっても10mぐらいしか離れてないけど。

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橋の歴史を伝える説明書き。

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最も古い歴史は1541年。商人の出資で、今の形の橋が建てられたのは1798年。
で、1914年にあの事件が起きるわけね。暗殺に成功したプリンツィプは英雄視されてて、長らくプリンツィプ橋と呼ばれていたそう。で、その後ラテン橋に改名されました。

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ふーん。橋そのものより、川の水の色の方が気になった。今は観光客でごったがえした、歩道専用の橋だった。そして、写真を撮ることに夢中になって橋を渡るの忘れてたってオチです。

 

橋の東側に立つモスク。

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ミナレットが美しいですね。

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で、その反対の西側に立つ奇抜な建物は市庁舎。目がチカチカする。

明日は、旧市街のど真ん中観光にお出かけです。
では!

中欧編 Bosnia-Herzegovina(2)Sarajevo事件の簡単なまとめ。

ボスニアヘルツェゴビナ(以下、BH)の首都サラエボに来た理由は、『サラエボ事件』が起きた現場を見たかったから。

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   ↑↑暗殺場面を描いた新聞挿絵, 1914年7月12日付

 

『がっつり世界史のテストの予想問題』ってだけじゃなくて、その後の歴史を見るとサラエボ事件はとっても重要だと思います。

サラエボ事件第一次世界大戦の引き金(の一つ)になって、その後の第二次時世界大戦や太平洋戦争にも絡んでくるしね。ちょっと事件現場のラテン橋を見てみたくなった。

 

今日は、先にサラエボ事件の復習。社会の教科書みたいですけどね ( ̄□ ̄;)。

 

教科書的にはオーストリア皇太子がボスニア出身のセルビア人の青年に暗殺されたと、歴史の授業で習ったけど、これ正確な情報ではありません。

 

正確には皇太子ではなく、皇位継承権を持った人。奥さんの身分が低くて、当時オーストリアハンガリー帝国を統治していたハプスブルグ家が彼女を一族と認めなかったんだそう。名家だから、色々ありそうですね。

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  左;フェルディナンドさん 右:奥さんのゾフィー。奥さん、可憐な人ですね。

 

発生日:1914年6月28日
犯人:ボスニアセルビア人の青年プリンツィプを含む7人のグループ。

 

事件の背景:
当時、BHはオーストリア領に併合されてて、ボスニアセルビア人達はとっても不満に思ってた。

セルビア人にとって、屈辱の日の6月28日に大公が訪問したり、暗殺日が大公夫妻の14回目の結婚記念日だったり、何かとセルビア人にとって腹立たしい日だったみたい。

6月28日の屈辱の日というのは、セルビア vs オスマントルコの『コソボの戦い』で1389年6月28日の大戦に敗北してしまったのです。この日以降、セルビア人は非支配者側としての苦難の日々が始まる分けで、苦々しい日だったんだとうと思う。

 

日本では、暗殺した青年(プリンツィプ)の単独行動みたいな捉えられ方をしているけど、高度に政治がからんでいる事件です。

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7人グループで綿密に計画も立てられてて、犯行に使われた拳銃は、な・な・なんとセルビア政府が支給したものだったんだって。

 

事件当日の時系列
1 川沿いを大公を乗せた車に爆弾が投げつけられる。

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  可憐だった奥さん。。。あれれ?
2 爆弾は爆発するのに、時間がかかって暗殺失敗。後続車にけが人が出る。

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3 大公は市庁舎に避難。

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  ↑↑現在の市庁舎
4 大公はけが人を見舞うために病院に向かう。優しい人だね。
5 運転手が途中で道を間違えてUターン。
6 Uターンしている場所近くの飲食店で、たまたまプリンティプが昼食食べてた。
7 とっさに拳銃を抜いて、プリンツィプが殺害。

8 プリンツィプはその場で逮捕。

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  ↑↑プリンツィプ逮捕の様子。

9 総督官邸到着数分でフェルエィナンドは死亡。病院に向かう途中に奥さんは死亡。

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サラエボ事件は、偶然に偶然が重なって発生しました。

 

その時、フェルディナンド夫妻が乗っていた車はこちら。

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ウィーンの王立博物館に展示してあるものです。後部車輪の上部に銃痕があるんだって。


その実行グループメンバーがその後どうなったか、気になるよね?

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暗殺に成功したプリンツィプは終身刑になります。えーっ?3人の人間(フェルディナンド、奥さん、お腹の子供)を殺害しておいて、終身刑?って思いましたよ。
そして、獄中で結核で亡くなります。
他のメンバーは、出獄した後に暗殺されたり、病気になったり亡くなったり、天寿を全うしたりと様々。

 

中でも、『ポポヴィッチ』て人。この人、私が訪問したサラエボ博物館の学芸員をされていたそう。残念ながら1980年に亡くなられているけど。

 

自分が訪問した博物館で、あのサラエボ事件の関係者が働いていたなんて、すごすぎる。興奮してきた。暑く語ってしまって、疲れたので実際の訪問記はまた、明日。
では!